1976年と1977年の富士にはひどい思い出がある

F1通信:1976年と1977年の富士にはひどい思い出がある by ダニエレ・オーデット

1976年に富士で行われた日本初のF1、奇しくも今回と同じく雨の中でマクラーレンが勝った訳ですが、
全員がリタイヤすることで同意した。ドライバーはこの取引に乗り気ではなかったが、スタート後数周してからリタイヤすることになっていた。

しかしハントは、マクラーレンのボス(テディ・メイヤー)の『フェラーリを騙せ、リタイヤするな』という命令を聞いたんだ

イヤな話ですなぁ。
F1って、こういうダーティなイメージを昔から払拭できないで居るのが、イマイチ儲からない(収益性が悪い)原因なんではないんですかね。


1976 F1 inJapan



1976年と1977年の富士にはひどい思い出がある by ダニエレ・オーデット
Ferrari fury still echoes around revamped Fuji

フェラーリの元チームマネージャーであるダニエレ・オーデット(64歳)にとって、F1最新のサーキットは古い傷を思い出させるものである。

富士で最後のグランプリが開催されてから30年後、オーデットは地球の反対側から電話をかけてきたエンツォ・フェラーリの怒声をまだ聞くことができる。

今は新たなF1の冒険として、苦戦するバックマーカー、スーパーアグリで活躍するオーデットはロイターに改修された日本GP会場で「残念ながら古い富士にはひどい思い出がある」と語った。

彼は「彼の声がまだ頭の中で響いているよ。フェラーリが不調だと、彼もものすごく怒ったからね」と思い出し、腕を伸ばして受話器を持つ真似をした。

スパイ・スキャンダルと1億ドルの罰金により、マクラーレンのボス、ロン・デニスが今シーズン苦境にあると思うのなら、オーデットが1976年と1977年に経験した苦労にも同情するだろう。

日曜日のレースが、チャンピオンシップ争いをしているドライバー同士の乱闘になったとしても、1976年の出来事とは比べものにならないだろう。

この年、初めての日本でのグランプリが富士で開催された。フェラーリのドライバー、ニキ・ラウダはニュルブルクリンクで危うく命を落とすようなクラッシュを喫したが、3ポイント差でチャンピオンシップをリードしており、2年連続のタイトル獲得を目前にしていた。

死の淵をさまよい、ひどく火傷を負ったオーストリア人のラウダは、事故からわずか6週間後に再びレースに参戦したが、チャンピオンシップ決定戦が祝典につながることはなかった。

激しいクラッシュ
台風に伴う豪雨と視界不良の中、レースがスタートしたが、ラウダは1周走っただけでリタイヤした。マクラーレンのジェイムズ・ハントが3位でフィニッシュし、1ポイント差でチャンピオンシップに優勝した。

現在テレビ解説者を務める(今年のレースは担当していない)ラウダは当時「自殺するつもりはなかった」と語っていた。「世界が自分のことをどう思おうと気にしない」

事故でまぶたが焼けてまばたきするためには手術が必要だったラウダは、水しぶきの中では見ることができなかったのだろうという意見もあり、激しいクラッシュの記憶が生々しかったのだろうという意見もあった。

オーデットは陳腐ではあるが物議を醸しそうな可能性を挙げた。「本当のところは、ジェイムズもリタイヤする予定だったんだ」

「目とか恐怖とかは関係なかった」

オーデットによると、バーニー・エクレストン(当時のブラバムのボス、現在のF1商業権保有者)が、プロモーション収入とテレビ収入を失うことを恐れて、何としてもレースをスタートさせたがったという。

そこで全員がリタイヤすることで同意した。ドライバーはこの取引に乗り気ではなかったが、スタート後数周してからリタイヤすることになっていた。

オーデットは「スタートしてリタイヤ。これが取り決めだった。ハントがチャンピオンになるはずではなかったのだ」と述べた。

「バーニーのおかげで、最初の周回でリタイヤするという合意に達していた。エマーソン・フィッティパルディもリタイヤした。ラウダもカルロス・パーチェもリタイヤした。しかしハントは、マクラーレンのボス(テディ・メイヤー)の『フェラーリを騙せ、リタイヤするな』という命令を聞いたんだ」

オーストリアのベテラン・テレビコメンテーターであるハインツ・プリュラーは、当時のレースに参加しており、ラウダの親友であるが、この見解を否定している。ラウダに関する限り、懸念はいずれにしろ観念的なことがすべてだったとしている。タイトル獲得は富士でもニュルブルクリンクと同じく無理だったのである。

1年後、レースはまたもや悲劇に見舞われ、このときもフェラーリが関わっていた。

ラウダはすでにドライバーズ・タイトルと、1978年のブラバムのシートを勝ち取っていたのでレースに出走せず、代わりにジル・ヴィルヌーヴが出走した。

そしてヴィルヌーヴは衝突に巻き込まれ、彼のフェラーリは宙を舞ってふたりを死亡させた。今週末になるまで、富士のF1はこれで終わりだった。

-Source: Reutres.co.uk
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  by mtack | 2007-09-30 21:10 | tagebuch

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