土地は輸入できる、?

企業、産業、国家を取り巻くリスクの本質 / SAFETY JAPAN [大前 研一氏] / 日経BP社

不動産取引の話ではなく、食糧自給率の話。

国内で食糧自給しようと思っても、土地もあまり無い、人手も減っている。じゃぁ国外に農場を買ってしまえばよい。
なるほどね。某国に頼りきりだから、段ボール入れられたり(これはガセだったみたいですが)農薬入れられたり、と言って国中大騒ぎしなければならない。国外それも複数国に農場を持てば安定供給を受けられる、それも国内農業を活性化するよりも安価に。

じぶんは別に大前研一信者ではないが、この話はちょっと面白いと思った。




企業、産業、国家を取り巻くリスクの本質

経営コンサルタント 大前 研一氏
2005年7月1日

 今、ほとんどすベての産業は淘汰の波にさらされている。2001年に『大前研一「新・資本論」--見えない経済大陸へ挑む』(東洋経済新報社)という著書を発表した(米国と英国でベストセラーとなった「THE INVISIBLE CONTINENT」の邦訳)。

『大前研一「新・資本論」 見えない経済大陸へ挑む』
大前研一(著) 吉良直人(翻訳) 東洋経済新報社
価格2100円(税込)

『The Next Global Stage』
(Wharton School Publishing)

 内容的にはいわば「新・経済原論」で、あらゆる経済原則が変わってきたことを本書で指摘した。この原則の変わり方というのは、産業革命における蒸気機関のような単一の発明によるものではなく、1985年を境にした経済構造の大きな転換によるものだ。
「淘汰」「突然死」を進行させる目に見えない3つの新しい経済

 その1つは、85年のプラザ合意によって、世界の経済は連結経済、つまり「ボーダレス経済」になったことだ。いわば国境そのものが実線から点線になった結果、経営資源である資本や技術、顧客、企業が、国境をまたいで自由に移動するようになった。

 2つ目は「サイバー経済」。85年というのはマイクロソフトのOS「Windows 1.0」が発売された年だ。それ以降はWindowsプラットフォーム上で世界中が情報だけではなく、音楽や映画なども交換できるようになり、知的所有権が国境を自由にまたぐようになってしまった。

 ジョージ・ソロスの「クォンタム・ファンド」もこの年に出来たが、これが象徴しているものが、3つ目の「マルチプル(乗数)経済」である。要するに、1億円しか資金のない人が20億円も30億円も動かせてしまうという、“倍率”を使った金融経済だ。ライブドアが埼玉県の中堅スーパーぐらいの売り上げしかないのに、6000億円もの時価総額の会社を相手に相撲がとれたのも、この“倍率”を使ったからだ。

 ソロスは92年、“倍率”の使えない英国の中央銀行であるイングランド銀行を相手にポンドの売り浴びせを行って勝利した。またアジア通貨危機の時には、タイガー・ファンドのジュリアン・ロバートソンがタイ・バーツの暴落を演出した。これも「ショートセル」という手法で何倍もの“倍率”でバーツの売り浴びせをし、アジア危機のトリガーになった。このように国家といえども、“倍率”をもってすれば一個人に負けてしまう。

 従来のケインズ経済に加えて、私はこの3つの経済の誕生は非常に大きな構造変化であると考えている。しかも、これらは目に見えないものだ。それでいて、我々の生活や経済そのものに甚大な影響を与える。そういう時代になったということを一連の著書で指摘してきた。
企業、産業、国家とも消滅の危機に
固定観念を捨てれば事業機会が見える

 シリーズ最新号として今年3月に出版した『The Next Global Stage』(Wharton School Publishing)では、「次の世界の舞台はどうなるのか」に言及した。

 実は「見えない大陸」の延長線上には、大きな事業機会が横たわっている。その事業機会に気付いた人は成長産業の波に乗れるが、気付かない人は“突然死”を免れない。国家も同じで、気付いた国は栄えるが、気付かない国、気付いても身体が動かない国は衰退するしかない。企業も産業も国家も、今やこうした“突然死のリスク”にさらされているのである。

 せっかく目の前に成長市場があっても、国境を前提にした経済の見方をしているようでは、その存在に気付けない。例えば、日本国内では少子高齢化が進行しているが、私の経済理論でいえば、国境は存在しない。

 日本が少子高齢化で低成長になれば、隣の中国を含めて“国内マーケット”と思えばいい。極端なことを言えば、中国を「九州・西」地区と捉える、さらにその先のインドまで含めて“国内マーケット”と考えれば、こんな成長経済はないし、少子高齢化に悩む必要はない。

 この観点で見ると、国境なんてバーチャルな点線に過ぎない。だからこそ、中国から様々なモノが入ってくるようになっている。千葉県の農産物、中国・山東半島の農産物は、どちらも同じ時間帯に東京に入ってくる。もはや山東半島は「東京の郊外」ともいえる。

 かつて私は「土地は輸入できる」という言い方をしたことがある。これは、例えばオーストラリアで農地を買って自分で農業経営すればいいという意味だ。米30万トンをつくる農地は、オーストラリアでは(日本円に換算して)わずか6億円で買える。オーストラリアの土地だけで心配なら、アルゼンチンやベトナムなどにリスク分散すればいい。

 この20年、30年の間に、政府は74兆円の農業補助金を出したが、生産性は全然上がっていない。この74兆円という金額は、オーストラリアの全農地が買えるほどのものである。世界最大の穀物商社「カーギル社」など穀物メジャー4社をすべて購入しても、8兆円しかかからない。それなのに、日本はこの10年だけで10兆円もの農業補助金を使っている。同じお金で穀物メジャー4社を買えば済む話だ。

 しかも、いざという時は穀物メジャー4社を握っている方が強い。固定観念で国内だけで考えているので、お金で土地が輸入できるという発想が起きないのだろう。

食料自給率だけではリスクは減らない
日本は安全保障に関する戦略が欠けている

 そもそもリスクはなぜ起こるのか。

 例えば、食料危機は国家というものにこだわるから起こる。戦争が起きるのも国家にこだわるからだ。「いざという時に、日本に食料が入ってこなくなったらどうするのか。だから、食料自給率を上げる必要がある」というのが大方の発想だ。しかし、これは20世紀的なリスク管理といえる。私の考え方はその逆で、世界中から食料を輸入していれば、日本と戦争する国などないはずだ。

 例えばシンガポールに農地はない。しかし農民が一人もいないからこそ、日本より農産物が安い。世界中で最も品質が良くて安いものを自由に買ってこられるからだ。消費者の方が強いということは、経済学の教科書では当然のこととして書かれているが、こと国という覇権や権力や民族のプライドの話になると、「輸入していると弱い」という発想になる。

 しかし、我々が消費者に徹すれば、国も強いはずだ。世界中で日本に農産物を売り込みたい国はたくさんある。「世界最大の食料輸入国」ともなれば、ものすごい交渉力を持つことになる。そういう国に「いざ」という危機が本当にあるのだろうか。それが心配なら、リスクヘッジとしてアルゼンチンやオーストラリア、米国、カナダ、タイ、ベトナム、ウクライナなどに輸入国を分散すればいい。

 これらすべての国が日本への輸入を拒否することはまずない。そんなリスクなんて、一体あるのだろうか? あるなら、それは世界中の国が日本を嫌った場合だ。その可能性は限りなくゼロに近い。もしそんな国に転落するのなら、どのみち日本という国はいくら策を講じても救いようがない。こう割り切りさえすれば、日本は世界中で最適地生産ができることになる。

 この10年で約10兆円、国民一人当たり10万円という農業補助金を拠出したにもかかわらず、実は食料自給率も農業生産性も上がっていない。農家は高齢化の一途で、若い労働力の投入がないからだ。今、(日本国内の)農業人口の平均年齢は約59歳で、このままだと6年後にはみんな引退してしまう。自給率を高めるというゴールを設定するなら、この問題の方がよっぽどリスクは高い。日本という国は、一体この問題をどう考えているのか。つまり、この国家は本当に安全を保障してくれるだけの統治能力があるのかということだ。

 自給率を高めれば安全性が上がると思っている人は、実は大間違いを犯している。たとえ食料自給率を高めたとしても、その時に石油備蓄は180日分しかない。日本が世界中から拒否されれば、当然、石油の輸入もできなくなる。備蓄分を使えば180日で終わり。そうなると181日目は、何でご飯を炊けばいいのか。ご飯を炊くエネルギーもない。農業トラクターを動かし、灌漑用ポンプを動かすエネルギーもない。つまり、農業だけの自給率を高めても、少ない石油の備蓄に効果を帳消しにされてしまうのだ。

主要先進国における食料自給率の推移(出典:農林水産省)
農林水産省のページ47から引用

 安全性を高めるには、米などの食糧自給率だけを考えるのではなく、石油と同じように備蓄率を高めることが肝要だ。生鮮食品と違って、穀物だから備蓄ができる。「米だけ1年分備蓄しておいて、他の食料は世界の最適地から入れる」というポリシーに変えれば、オーストラリアで1キログラムあたり25円でコシヒカリがで出来てしまう。

 「食料自給率」「食料安保」などというキーワードが断片的な政策決定のダシに使われるだけで、日本のリスクに対する考え方は首尾一貫していない。

 それだけではない。食料安保と関係のない農業基盤整備事業などに膨大な無駄金を使っている。膨大なお金を誤った方向に使うほど、逆に生産性は落ちる。当たり前だ。どのみち、WTO(世界貿易機関)がフルに発効する数年後には、輸入せざるを得ないのだから。今のままでは、日本の農業そのものが倒れてしまうだろう。

 食料安保であれ、国家の安全保障であれ、今の日本は「安全保障」に関する定石から外れた手ばかりを打っている。

 ところが、まともに議論しようとしても「君は自給率を下げるような“非国民的”なことを平気で言うのか」「日本は瑞穂(みずほ)の国なんだ。新嘗祭(にいなめさい)の言われを知らないか!」とすぐに情緒に流される。日本人は農業やコメのこととなると、一流の識者でも感情に走ってしまう傾向があるようだ。そうした姿勢が、結果的に“伝統”の息の根を止めかねないのだが。
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  by mtack | 2008-02-09 18:04 | tagebuch

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